今日は皆さんもご存知かと思いますが、400勝を達成し、王氏、長嶋氏に並ぶ昭和の大選手として知られている金田正一氏についてお話していきたいと思います。
そもそも金田正一という男はどんな人物なのか。
ある記事によると、
『プロ野球国鉄(現ヤクルト)、巨人で前人未到の通算400勝を達成し、ロッテでも監督を務めた金田正一さんが6日に86歳で死去したことを受け、巨人の長嶋茂雄元監督(83)は球団を通じて「突然の訃報に言葉を失った。ショックが大き過ぎる。元気の塊のようだった人にも、こういう結末があったのか。金田さんのような投手は、これから出てくるだろうか。400勝投手は永遠ではないか、と思っている」とコメントした。』
引用元:https://www.sanspo.com/baseball/news/20191007/gia19100718120004-n1.html
このような紹介がされていた。
この2人の対決は知っている人も多いのではないだろうか。
金田正一氏はどのような野球人生を歩んできたのか、簡単に整理していきたいと思います。
金田正一
金田正一氏は、愛知県中島郡平和村(現・稲沢市)に生まれる。名古屋市立大曽根中学校在学中に野球を始め、名古屋電気学校(旧制)を経て享栄商業高校へ編入。この時点では14歳で、本来の就学年齢より1年早い高校入学となった。
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/金田正一
高校野球では2年生時にチームのエースとして春夏予選準決勝までコマを進めたが、惜しくも負けてしまいました。3年生になる直前に設立されたばかりの国鉄スワローズ・西垣徳雄監督にスカウトされ、予選敗退後に入団しています。
ということは17歳でプロの世界に入っているということですね(笑)
今の野球界では考えられないことですよね。
あの大谷選手でさえも高校卒業してからプロの世界に足を踏み入れているわけですし…(笑)
その後、1951年に大阪タイガース戦にて初めてノーヒットノーランを達成すると、この年から3年連続最多奪三振のタイトルを獲得しました。
その後、5度目の最多奪三振のタイトルを獲得しています。
単純に考えて3年連続タイトルを獲るだけでも凄いですが、5回も同じタイトル、しかも最多奪三振のタイトルを獲得するとは恐れ入りますね。
入団以降の成績としては当時の長嶋氏から4打席連続三振を奪ったことや王氏からも2三振奪ったことなども印象深いが、現役引退してからもタレントとして活躍し、千葉ロッテマリーンズで監督を務めた。そしてリーグ優勝、日本一に貢献し、野球解説者として活躍したそうです。
また、名球会会長として活躍し、金田企画を設立しました。
その後もテレビ出演し、日本の野球界、芸能界に大きく貢献しました。
今回僕が感じたことは野球で活躍することもそうですが、引退後のプランもしっかりしていて、自分がやるべきことがしっかりと明確化されているなと感じました。
まぁ、これだけの結果を残している選手だからこその活躍だとは思いますが…
今日はこれくらいで失礼します。
では!!!
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